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日光東照宮のうんちく|歴史や七不思議をわかりやすく解説

世界遺産にも登録されている栃木県の日光東照宮。きらびやかな社殿や「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿はとても有名ですよね。

でも、日光東照宮の魅力はそれだけではないのです。実は一つ一つの建物や彫刻には、奥深い歴史や知られざる秘密が隠されています。

この記事では、なぜ日光東照宮が建てられたのかという歴史を小学生向けにもわかるように解説し、有名なものからあまり知られていない見どころ、不思議な彫刻の意味、そしてちょっと怖い呪いの話まで、さまざまなうんちくをご紹介します。

これを読めば、あなたもきっと日光東照宮の新たな魅力に気づくはず。記事の最後には、旅の知識を試せる楽しいクイズも用意していますので、ぜひ最後まで楽しんでくださいね。

この記事を読むとわかること
  • 日光東照宮が建てられた歴史的背景
  • 有名な彫刻に込められた平和への願い
  • 「逆さ柱」をはじめとする七不思議の謎
  • 旅がもっと楽しくなる豆知識やパワースポット情報
この記事を書いた人
筆者

こんにちは。hanaです。

職業は会社員で、日々の忙しさに追われながらも、旅行が大好きで週末の小旅行や長期休暇にはよく旅に出かけています。

がっかりした旅行体験や各国に行った時の生の経験談をお伝えすることで、自分にしかできない価値提供ができたらいいなと思います。

重要な情報については国交相総務省のHPを参考にすることで正確な情報発信を心がけています。

目次

日光東照宮のうんちく【歴史と創建の秘密】

日光東照宮のうんちく【歴史と創建の秘密】
  • 日光東照宮の歴史を紐解く
  • 日光東照宮の歴史をわかりやすく解説
  • 日光東照宮の歴史は小学生向けにも学べる
  • 家康が込めた創建の秘密
  • 魔除けか呪いか 逆さ柱の謎

日光東照宮の歴史を紐解く

日光東照宮がどのようにして誕生したのか、まずはその歴史から紐解いていきましょう。

この壮大な神社の始まりは、江戸幕府を開いた初代将軍、徳川家康の遺言にあります。家康は1616年に75歳でその生涯を閉じますが、亡くなる直前に「遺体は駿河の久能山に納め、一周忌が過ぎたら日光山に小さなお堂を建てて神として祀るように」と言い残しました。

この遺言を受け、二代将軍の秀忠は1617年に日光へ社殿を建て、家康の神霊を移しました。これが日光東照宮の創祀です。ただ、この時の社殿は、遺言の通り比較的質素なものだったと言われています。

現在私たちが目にする豪華絢爛な姿になったのは、三代将軍・家光の時代です。祖父である家康を深く敬愛していた家光は、「寛永の大造替(かんえいのだいぞうたい)」と呼ばれる大改築を行いました。全国から一流の職人を集め、莫大な費用をかけて20年近くの歳月を費やし、1636年に現在の主要な社殿群が完成したのです。

この大事業を実質的に指揮したのが、家康、秀忠、家光の三代にわたって将軍を支えた僧侶、天海僧正です。家康を神格化し「東照大権現」という神号を朝廷から賜るなど、日光東照宮の成立に非常に大きな役割を果たしました。

日光東照宮の歴史をわかりやすく解説

では、なぜ徳川家康は神様として祀られることになったのでしょうか。実在の人物が神様になるなんて、少し不思議に感じますよね。

実は、戦国時代から安土桃山時代にかけて、力のある大名が自らを神格化することは珍しくありませんでした。例えば、織田信長や豊臣秀吉も神として祀られています。これは、長く続いた戦乱の世の中で、人々の価値観が変化したことが背景にあります。

それ以前の時代は、人々は死後の世界での救いを求める「浄土信仰」が主流でした。しかし、明日をも知れぬ戦国時代を生きる人々は、来世の幸せよりも、まずこの現実世界を平和にしてくれる力強い存在を求めるようになったのです。

まさに、天下を統一し、260年以上も続く平和な江戸時代の礎を築いた徳川家康は、人々にとって現世を救う神のような存在でした。家康自身も、自分が神となることで、徳川幕府の権威を高め、平和な世が永く続くことを願っていたと考えられます。

ちなみに、同じく実在の人物を祀る神社に学問の神様・菅原道真を祀る天満宮がありますが、これは道真公の祟りを鎮めるために建てられたものです。一方で、家康は自らの意思で神となり、幕府の、そして日本の平和を守る守護神となることを望んだのです。

日光東照宮の歴史は小学生向けにも学べる

日光東照宮の歴史は小学生向けにも学べる

日光東照宮の歴史には、お子さんでも楽しめる面白いエピソードが隠されているんですよ。その一つが、徳川の将軍たちと「干支」にまつわるお話です。

実は、徳川幕府の礎を築いた最初の三人の将軍の干支は、偶然にもきれいに並んでいるのです。

将軍名前干支
初代徳川家康寅(とら)
二代徳川秀忠卯(うさぎ)
三代徳川家光辰(たつ)

このように、寅・卯・辰と順番に並んでいます。このことから、日光東照宮ではこの三つの動物が特別な動物として扱われているのです。

その一番わかりやすい例が、表門をくぐってすぐに見える「五重塔」です。この塔の一層目には、ぐるりと十二支の彫刻が施されています。普通、干支は子(ねずみ)から始まりますよね。しかし、この五重塔の正面に彫られているのは、なんと寅・卯・辰なのです。これは、徳川の三人の将軍に敬意を表して、家康の干支である寅から始めていると言われています。

日光東照宮を訪れた際には、ぜひお子さんと一緒に、徳川三代の将軍たちの干支を探してみてくださいね。

家康が込めた創建の秘密

徳川家康はなぜ、江戸から少し離れた日光の地を、自らを祀る場所に選んだのでしょうか。これには、家康が抱いていた壮大な計画と、当時の思想が深く関わっていると考えられています。

まず、地図を見てみると、日光が江戸城の真北に位置していることがわかります。古代中国からの思想では、「北」は宇宙の中心である北極星が輝く最も神聖な方角とされていました。家康は、自らが江戸の真北から神として幕府と日本全体を見守る、という構図を作り上げたかったのかもしれません。

さらに、驚くべきことに、家康が最初に埋葬された静岡県の「久能山東照宮」と「日光東照宮」を直線で結ぶと、その線上には日本の象徴である「富士山」が位置します。家康の亡骸は久能山に納められ、その魂が富士山という霊山を通り、神となって日光の地に降り立つ。そんな壮大なストーリーが隠されているのです。

これらの配置は、当時家康の側近であった天海僧正が、風水や陰陽道といった思想を駆使して計画したと言われています。日光が強力なパワースポットとして知られているのも、こうした緻密な計算の上に成り立っているからかもしれませんね。

魔除けか呪いか 逆さ柱の謎

日光東照宮で最も有名な建物といえば、国宝「陽明門」です。500以上の豪華な彫刻が施され、一日中見ていても飽きないことから「日暮門」とも呼ばれています。

この陽明門には、東照宮の中でも特に有名な不思議な話が隠されています。それは「魔除けの逆さ柱」です。陽明門を支える12本の柱のうち、背面に立つ1本だけ、彫刻の文様が上下逆さまになっているのです。

これは、うっかり間違えてしまったわけではありません。「建物は完成した瞬間から崩壊が始まる」という考えに基づき、あえて1本だけ柱を逆にすることで「この門はまだ未完成である」と示し、災いを避けるための魔除け、つまり一種のおまじないなのです。完璧なものには魔が宿りやすい、という考えから来ているのですね。

この逆さ柱は、呪いや災いが建物に及ばないようにという、当時の人々の強い願いが込められたものと言えるでしょう。陽明門を訪れた際は、ぜひ裏側に回って、この不思議な柱をご自身の目で探してみてください。

日光東照宮のうんちく【見どころと不思議】

日光東照宮のうんちく【見どころと不思議】
  • 日光東照宮で有名なもの
  • 必ず見たい日光東照宮の見どころ
  • 動物に込められた彫刻の意味
  • 語り継がれる日光東照宮の七不思議
  • 旅の終わりに挑戦!日光東照宮クイズ
  • もっと知りたい日光東照宮のうんちくまとめ

日光東照宮で有名なもの

日光東照宮といえば、誰もが思い浮かべる有名な彫刻がありますよね。ここでは、その代表格である「三猿」と「眠り猫」に込められた意味を詳しくご紹介します。

神厩舎の三猿

「見ざる・言わざる・聞かざる」のことわざで知られる三匹の猿の彫刻は、神馬をつなぐ「神厩舎(しんきゅうしゃ)」という建物で見ることができます。この三猿は、子どもが素直に成長していくためには、世の中の悪いことを見たり、聞いたり、言ったりしない方が良い、という教えを表しているんです。

実は、この神厩舎の彫刻は三猿だけではありません。建物をぐるりと囲むように8面にわたって猿の一生が描かれており、人間の人生を風刺していると言われています。三猿は、その中の幼少期の一場面なのです。ぜひ、他の猿たちがどのような物語を紡いでいるのかも注目してみてください。

奥宮へ続く坂下門の眠り猫

もう一つ有名なのが、徳川家康のお墓がある奥宮へと続く坂下門に彫られた「眠り猫」です。彫刻家の左甚五郎の作と伝えられています。

この猫は、ただ気持ちよさそうに眠っているだけではありません。猫がのんびりと眠っている、その裏側を見てみると、2羽の雀が楽しそうに遊んでいる彫刻があります。本来、猫は雀の天敵です。

その猫が眠り、雀が安心して遊べる。これは、家康によって戦乱の世が終わり、誰もが安心して暮らせる平和な時代が訪れたことを象徴していると言われています。

一見すると可愛らしい彫刻ですが、実はとても深い平和への願いが込められているのですね。

必ず見たい日光東照宮の見どころ

必ず見たい日光東照宮の見どころ

三猿や眠り猫以外にも、日光東照宮には見逃せないスポットがたくさんあります。ここでは、訪れたら必ずチェックしたい見どころをいくつかピックアップしますね。

国宝 陽明門

前述の通り、500以上の彫刻で埋め尽くされた日本で最も美しい門です。一日中見ていても飽きないと言われるほどの緻密さと豪華さは、まさに圧巻の一言。聖人賢人や霊獣、子どもたちの遊びの様子など、一つ一つの彫刻に込められた物語を探しながら、じっくりと鑑賞するのがおすすめです。

本地堂の鳴き龍

陽明門の手前、左側にある薬師堂(本地堂)の天井には、大きな龍の絵が描かれています。この龍の頭の下で拍子木を打つと、「キーン」という鈴のような美しい音が反響し、まるで龍が鳴いているように聞こえることから「鳴き龍」と呼ばれています。この反響音は、龍の鳴き声を聞くことで厄除けや開運のご利益があると言われていますので、ぜひ体験してみてください。

奥宮と叶杉

眠り猫の門をくぐり、207段の石段を登りきった先に、徳川家康が眠る「奥宮宝塔」があります。厳かで静かな空気が流れるこの場所は、東照宮の中でも特に神聖なエリアです。そして、宝塔のすぐそばには、樹齢600年といわれる大きな杉の木「叶杉(かなえすぎ)」が立っています。

この杉の木のほこらに向かって願い事をすると叶うと言われており、強力なパワースポットとして知られています。長い階段を登った人だけがたどり着ける特別な場所ですので、ぜひ足を運んでみてください。

動物に込められた彫刻の意味

日光東照宮には、実に5,000を超える彫刻があり、その多くは動物をモチーフにしています。ここでは、平和への願いや教えを伝える、興味深い動物たちの彫刻をご紹介します。

平和な時代にしか現れない霊獣たち

陽明門など主要な建物には、麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)といった、平和で優れた王が世を治める時代にのみ姿を現すとされる「霊獣」の彫刻が多く見られます。これらは、家康がもたらした平和な世を称え、その時代が永く続くことへの願いが込められているのです。

悪夢を食べる獏(バク)

不思議な姿をした霊獣「獏」の彫刻もたくさんあります。獏は人々の悪夢を食べると言われていますが、実はそれだけではありません。獏は、武器の材料となる鉄や銅も大好物だと考えられていました。

つまり、争いごとがなく、武器を作る必要のない平和な時代にしか、獏はお腹いっぱいになることができないのです。このことから、獏の彫刻もまた、平和な時代の象徴とされています。

平和の象徴「唐子遊び」

陽明門には、中国風の衣装を着た子どもたち(唐子)が楽しそうに遊んでいる様子の彫刻があります。これも、子どもたちが無邪気に遊ぶことができる世の中こそが、平和の証であるというメッセージが込められています。一つ一つの彫刻が、家康の築いた平和な世界を物語っているのですね。

語り継がれる日光東照宮の七不思議

日光東照宮には、科学では解明できないような不思議な話や謎が数多く伝えられており、「東照宮七不思議」として語り継がれています。ここでは、その代表的なものをいくつかご紹介しましょう。

  1. 魔除けの逆さ柱:前述の通り、陽明門にある1本だけ文様が逆さの柱。未完成にすることで災いを避けるという説が有力です。
  2. 眠り猫と雀:天敵であるはずの猫と雀が共存している彫刻。平和の象徴とされています。
  3. 三猿の謎:なぜ神厩舎に猿なのか、なぜ人間の人生を表しているのかなど、多くの謎が残っています。
  4. 鳴き龍の共鳴:薬師堂の天井画の下でだけ音が反響する不思議な現象。天井の構造や床との関係など、偶然が生んだ奇跡と言われています。
  5. 想像の象:狩野探幽が実物を見ずに想像だけで描いたとされる象の彫刻。実際の象とは少し違う、ユニークな姿をしています。
  6. 目貫きの龍:陽明門の中央に彫られた龍の彫刻には、目が彫られていません。これも逆さ柱と同様に「未完成」を表すためと言われています。
  7. 北辰の道:日光東照宮が江戸城の真北にあり、その延長線上に北極星が来るように設計されているという壮大な配置の謎。

これらの不思議な話を知っていると、日光東照宮の参拝がよりミステリアスで興味深いものになりますよ。

旅の終わりに挑戦!日光東照宮クイズ

さて、ここまでたくさんの日光東照宮のうんちくをご紹介してきましたが、どれくらい覚えていますか?最後に、あなたの知識を試すクイズに挑戦してみましょう!

【第1問】 日光東照宮の「五重塔」。その正面に彫られている十二支の最初の動物は、家康の干支にちなんだものでした。さて、その動物は何でしょう?

【第2問】 平和の象徴として有名な「眠り猫」。この猫の彫刻の裏側で、安心して遊んでいる鳥は何でしたか?

【第3問】 陽明門にある12本の柱のうち、1本だけ文様が逆さになっている柱。これは、災いを避けるためのある「状態」を示すためでした。その状態とは何でしょう?

…答えはわかりましたか?

正解は、 【第1問】 寅(とら) 【第2問】 雀(すずめ) 【第3問】 未完成

全問正解できたあなたは、もう立派な日光東照宮マスターですね!

もっと知りたい日光東照宮のうんちくまとめ

この記事では、日光東照宮にまつわる様々なうんちくをご紹介してきました。最後に、旅の計画や思い出の振り返りに役立つよう、大切なポイントをまとめますね。

  • 日光東照宮は徳川家康の遺言によって創建された
  • 現在の豪華な姿は三代将軍・家光の大改築によるもの
  • 家康は日本の平和を守る守護神「東照大権現」として祀られている
  • 日光の地は江戸城の真北に位置するよう計算されている
  • 久能山、富士山、日光は一直線上に並ぶ
  • 陽明門には500を超える精巧な彫刻が施されている
  • 陽明門の柱の1本は「未完成」を表すため逆さになっている
  • 神厩舎の三猿は人間の幼少期の教えを表す
  • 眠り猫と裏側の雀は平和な時代の象徴
  • 五重塔の干支は初代将軍・家康の「寅」から始まる
  • 薬師堂の天井画は特定の場所で音が反響し「鳴き龍」と呼ばれる
  • 家康が眠る奥宮には願いが叶うとされる「叶杉」がある
  • 麒麟や鳳凰、獏などの霊獣の彫刻も平和のシンボル
  • 子どもが遊ぶ「唐子遊び」の彫刻も平和への願いが込められている
  • これらのうんちくを知ると、日光東照宮の参拝が何倍も楽しくなる
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